《蓄音器の音》聴きませんか – 人類愛の賛美、75年の時間を超えて胸に響く《歓喜の歌》
作曲をすると言うこと
モーツァルトが亡くなった翌年の1792年、『不断の努力により、モーツァルトの精神をハイドンの手から得られるように』と励まされてウィーンに旅発つ時に、友人たちに教えられたのがシラーの頌歌(神の栄光を褒め称えた詩)でした。
「歓喜よ!神々のようなきらめきよ!我々は炎のように酔いしれて、聖なる楽園に足を踏み入れる。すべての人は汝の優しき翼のもとで、兄弟となれ。
ひとりの友の友足ることに成功した人、ひとりの女性の貞淑なる愛を得た人、例えひとつでもこの地球上の人の心を自分のものと言い切れる人は、歓喜の声を上げよ。
これらのことに失敗した人は、涙と共にこの集いから立ち去れ。
すべての人は自然の懐に抱かれて歓喜を飲み、神から等しく快楽を与えられよ。
百万の人々よ、互いに抱き合え、全世界の接吻を受けよ!」
この人類愛の賛美にベートーヴェンは共感し、『苦悩を突き抜けて歓喜を得る』と信じていたのです。この時ベートーヴェンは21歳。若いベートーヴェンは、この詩を題材にして作曲しようと思いました。それからは急がず焦らず、構想を温めピアノと管弦楽のための『合唱幻想曲』を経て、『交響曲第9番』の最終楽章として結実、実に32年が経過していました。この時ベートーヴェンは、53歳になっていました。
若い作曲家に『創作の工夫』について問われて、52歳のベートーヴェンの答えは、
『わたしは自分の考えを決定するまで、長い間保留し続けている。一度心に浮かんだ音楽は、何年経とうが忘れた試しはない。それを、自分が満足できるまでいろいろと変えたり、捨てたり、計画し直したりする。それから頭の中で作業を始める。自分が望むものははっきりしているので、基本的な考えが変わることは決してない。
楽想は招かれずにやってくるもので、確実にこうだとは言えるものでは無いが、特に自然の中、森の中、野の中、夜の静寂の中、暁の中を歩いていると、殆ど手で捕まえられるような感じでやってくるのだ。』・・・ベートーヴェンは一度『これで良いのか』と己に問い直す、努力型の天才でした。
曲は《第9》の第4楽章、昨年12月に行った「第272回蓄音器でレコードを楽しむコンサート」で収録した音源で、会場の物音来場者の会話などが聞こえます。8枚組全16面から第11面から第16面の録音を繋いだ音です。

